生駒山宝山寺 
 八王子分院 施法院  

      Home  当院縁起  御祈祷  行事案内   案内地図  サイトマップ

歓喜団に関する解説 


  歓喜天の御供物 その1

  歓喜団は、聖天さんの供物として有名な菓子です。
 その原型は、インドのモ-ダカという菓子です。
 米粉や小麦粉で生地を作り、椰子の実の果肉を
 刻んだ餡に、胡麻、芥子実、胡桃等の木の実を入れ、
 香辛料、椰子糖、バタ-を加えて練り、宝珠型に
 包んで、油で揚げるか、蒸したものがインド伝統菓子、
 モ-ダカです。

 唐代の頃、仏教と共にモ-ダカが中国へ伝わると、
 唐菓子の団喜と呼ばれる菓子と成りました。
 中国では、緑豆、蓮の実、栗等で餡を作り、そこへ、
 松の実、胡桃、芥子実、枸杞、胡麻等の木の実と
 数種の香辛料を入れて練り、米粉や小麦粉で作った
 生地に包み、植物油で揚げた唐菓子が団喜と呼ばれる
 菓子になりました。
 中でも、歓喜天に供える団喜を歓喜団と呼びますが、
 餡、皮、揚げ油、作り方が、普通の団喜とは異なります。
 歓喜団には、バタ-以外の動物性倶材は使いません。
 日本へは、仏教の伝来と共に渡来していた様で、
 飛鳥時代には、既に、製法がもたらされていました。

 日本では、栗餡や蓮の実餡に、ツタの樹液を煮詰めた
 甘葛と呼ばれる甘味料や干し柿、干し苺、水飴を入れ、
 日本でも入手可能な香辛料を加え、植物油で揚げて、
 調理していました。
 蜂蜜を入れたものは、歓喜天には供えないので、
 普通に供える唐菓子の団喜です。
 現在の様に、小豆餡に砂糖と香辛料を入れ、胡麻油で、
 揚げた団喜は、江戸時代以降に主流となりました。

 餡を包む皮ですが、古い口訣や支度次第を見る限り、
 餅米の粉を使用したものが殆どで、粳米と餅米を
 混ぜる支度次第は、僅かに見られました。
 一般的に米粉とは、餅粉と粳粉の2種を差しますが、
 口伝により、単に米粉とした場合は、餅粉を差します。
 粳米を粉にした場合は、粳粉と記す様です。

 米粉(上新粉)の場合、水で練り蒸して団子状にしてから、
 成形する場合と米粉を水で練った物を成形して揚げる物に、
 分かれるようです。
 インドのモ-ダカは後説の方式です。
 団子は、成形し易いのですが、中に餡を入れて揚げた場合、
 餅米粉を使った場合より、油を吸い易い為か、餡入りの
 揚げ煎餅になります。
 インドのモ-ダカは、インディカ米の米粉を使う様です。
 和田仙心先生も、手を尽くし調べたそうですが、団喜には、
 米粉を使うもの以外に確認できなかったそうです。

 日本では、穀物を粉にするのは搗き臼が主流で、挽き臼は、
 茶の湯が始まり出した頃、明から輸入した唐茶磨が始めと
 言われています。
 小麦は、麸と小麦粉に別けなければならず、挽き臼の
 未発達な時代には、小麦粉は製粉に手間がかかるので、
 量産できなかったのが、小麦粉を使用しなかった理由と
 思われます。
 小麦粉を使用した皮を使うのは、江戸時代に入ってからだと
 思われます。
 小麦粉は、餅米粉が手に入らない場合の代用品的な
 存在でしたが、一般庶民に普及するとともに、多種多少な
 菓子に利用され始めました。
 
 神仏へ供える団喜の形は、主に、宝珠型、柘榴型、
 無花果型、枇杷型などでしたが、上手に揚げる為、
 柘榴型が好まれました。
 本来、お供えの菓子類は、果実や果物などの水菓子を
 基本とするそうで、干菓子、焼菓子、唐菓子は、水菓子の
 取れない時期に、水菓子を模した菓子を供えるのが、
 本義です。
 
 日本では、宝珠型を桃やスモモに例えているのですが、
 歓喜天は、酸味を嫌うので、桃類には例えず宝珠としています。
 柘榴は、酸味があるものの吉祥果なので、歓喜天の御供にも、
 適するとされています。
 江戸時代に入り、生駒山宝山寺で巾着型の団喜が作られ、
 歓喜天に供える団喜は、巾着型が有名に成った様です。
 巾着は、財布の意味もあるようですが、七宝をいれた福袋を
 意味しているそうです。
 福袋は、季節を問わず供えられる形なので、好まれる様です。

 当院の相伝は、宝珠型なのですが、包み方が悪く、少しでも、
 空気が入ると揚げる時に破裂しやすいので、柘榴型の
 団喜にしています。
 生駒山宝山寺に在職中は、巾着型の包みを練習しましたが、
 成形には熟練の技が必要で、上手に包まないと、揚げた時に、
 余計な油を吸ってしまい台無しになります。
 巾着型は、成形と揚げの習得が難しいので、柘榴型を基本に、
 研鑽するのを、お勧めしておきます。
 尚、歓喜団に関する相伝は、多種多様あるので、師伝を基本に、
 研鑽して頂きたく思います。

 渡部俊源大阿闍梨より、歓喜天法の伝授を戴いた時、最後の
 難関試験が団喜で、ギリギリ及第点を戴き、免許皆伝を
 許されました。
 団喜を一人で作れなければ、一通りの伝授は終了とならず、
 一種の卒業試験です。
 渡部先生門下では、初めての免許皆伝者と成りました。
 その時に餡の味を、御室御所より伝わる慧證様の餡の味を
 再現したものだったので、渡部先生が慧證様を大変懐かしがり、
 歓喜していました。
 御室御所、醍醐三宝院、生駒山宝山寺、それぞれの場所には、
 団喜の特徴があり、餡の包み方だけでなく、餡の味付けも、
 相伝する阿闍梨により変わります。

 御室御所では、御所に祭られる天照太神と天皇家に、唐菓子を
 供える仕来りがあり、団喜を御供えしていたそうです。
 その逸話として、孝明天皇が慧證様の団喜を好まれ、御供えの
 日には、団喜が届くのを待ちきれずに、1時間に1回、使いを遣し
 催促したそうです。
 慧證様の団喜は、口に含んだ途端、笑みが零れるのだそうです。
 
 口に含んだ途端、笑みが零れる団喜を『歓喜団』と呼び、普通の
 団喜とは、別扱いにしています。
 笑みが零れる秘伝の団喜が『歓喜団』であり、餡を包む皮は、
 堅くありません。
 その製法は、伝授を受けた者以外には、全く知られておらず、
 素手で触れないように、全ての行程が特別な製法で作られます。
 渡部先生は免許皆伝者のみに、慧證様相伝の歓喜団を伝授しました。
 インド、ネパ-ルのモ-ダカは、全て、素手の手作業ですが、
 この差は、日本とインドの宗教観に由来するものと思われます。

    図1、歓喜天用 増益(赤)歓喜団
    
    手前に宝珠型、後ろ左が柘榴型、右に巾着型
    中の餡は、御室御所時代に慧證様が作られた
    餡の味を再現したものです。

    図2、歓喜団のモデル柘榴
    
    萼(ガク)は6枚、歓喜団の襞も六枚
    ただし、襞の先は丸くする

    図3、小麦粉の歓喜団
    
    渡部先生直伝の歓喜団を再現

    図4,毘沙門天用歓喜団
    
    左=福袋型 右=柘榴型


生駒山宝山寺 
 八王子分院 施法院